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神社一覧 南九州


八代神社

    八代妙見宮・下宮


contents:

鎮座地/ 御祭神/神事・例祭/概要/考察/ 紀行/ 懐良親王


鎮座地

 
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■所在地:  熊本県八代市妙見町401 ■連絡先:  0965-32-5350 (八代神社) ■交通 :  九州産交バス「宮地」バス停下車、バス停前  新幹線水俣駅からタクシーで1500円だった。


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御祭神

 
pin.gif 北極星と北斗七星からなる 北辰信仰が 妙見菩薩信仰と融合 包括神格化された。 妙見菩薩は、 国土を擁護し災害を防ぎ 人の福寿を増す菩薩。 尊星王、北辰菩薩。 明治の神仏分離令による廃仏毀釈で 神道の北辰(北極星)を太一神とする 「国常立尊・天御中主神」へ習合 後醍醐天皇の皇子 懐良親王(かねよし)を合祀 境内には他に「稲荷神」と「大宮神」が配祀

No 神社名 位置所在 名称 祭神 摘要 備考
八代神社 下宮 天御中主神
相殿 懐良親王

ご陵墓は八代市、当宮の南方
境内 稲荷社

境内 大宮社


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神事・例祭

 
pin.gif 主要な祭礼には 九州の三大祭と 称される 妙見祭がある。
例祭名概要摘要
531氷室祭還暦祝い、厄入り・厄晴れの祈願三室山で氷室
1122/23妙見祭神幸行列旧10/18


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由緒

 
pin.gif 妙見神の由来伝承は次のようである
☆天武帝白凰9年(680)の秋、  中国明州(寧波)から  妙見神が  亀蛇の背に乗って海を渡り、  八代郡土北郷八千把村竹原津に上陸し、  この地に約3年間仮座した  (妙見宮実紀・社記) ☆百済国聖明王の第三皇子「琳聖太子」説 ■天武帝白凰9年(680)の秋:  中国もしくは朝鮮から渡来   ■天武帝白凰11年(682)  益城郡小熊野村の千代松が峯に遷座(白木平) ■天平宝字2年(758)  八代郡戸北郷の横嶽ノ嶺(三室山)に遷座  竜峯山(北緯32度31分4秒,東経130度40分18秒)   ■延歴14年(795)  第50代二條天皇の勅願によって上宮創建  横嶽ノ嶺(三室山)山頂(現在は八代市)   ■永歴元年(1160)  第78代二條天皇の勅願によって中宮創建  横嶽ノ嶺(三室山)の麓(中宮川の谷の奥)   ■文治2年(1186)  第82代後鳥羽天皇の勅願によって  外宮創建(当社・下宮)  八代郡太田郷赤土山の麓  (八代平野の要の位置)   ■天正16年(1588)  キリシタン大名小西行長  社殿を焼き衰退   ■慶長16年(1611)  加藤清正が祭礼を再興   ■寛永12年(1635)  細川三斎(忠斎)が神輿を寄進   ■正保2年(1646)  松井興長が八代城主となり祭礼継続   ■元禄12年(1699)  社殿改築   ■寛延2年(1749)  社殿改築   ■明治4年(1868)  明治の神仏分離令で  社名変更仏閣撤去    妙見宮==>>八代神社   ■平成7年(1995)  中宮の再建   ■平成10年(1998)  363年ぶりに神輿の新造


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概要


由緒

由緒

鳥居から境内

社殿

拝殿

社殿

本殿

境内

境内(稲荷社)

境内(大宮社)

境内

境内

境内

境内六地蔵

境内

境内


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考察

 
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  1. 妙見神の由来伝承に関しては次の通り
    • 天武帝白凰9年(680)の秋、 中国明州(寧波)から 妙見神が亀蛇の背に乗って海を渡り、 八代郡土北郷八千把村竹原津に上陸し、 この地に約3年間仮座した (妙見宮実紀・社記)
    • 百済国聖明王の第三皇子「琳聖太子」説
  2. いずれも渡来伝承で、 その上陸地点は「竹原ノ津」で一致している。 さてどちらの伝承を辿ればよいものか
  3. この妙見神だが、隼人抗戦以後平定で 赴任して来た豊後勢が勧請したという 伝承もあるようだが。
  4. また、西南の役では陣地となったそうで 出水の加紫久利神社はその戦災で 社殿は焼失したが、 その銃弾跡が大樹の幹にあるそうだが 探せなかった。


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紀行

 
pin.gif 2004年秋10/13〜15 父と天草へイルカ見物に出掛けた。 鹿児島〜水俣〜天草〜阿蘇〜熊本〜鹿児島 その帰途、途中下車し 当地の氏神様の本宮に 参拝できたことは 感慨深いものだった。 今度は 秋のお祭り見物に訪れ 残りのお宮も 巡ってみたい。



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懐良親王

 
pin.gif この八代宮で 祭祀されている 懐良親王 とは 観光ガイドによると 八代市妙見町 北緯32度29分36秒, 東経130度38分40秒 に墓所があるそうだ。 懐良親王御陵 呼び名だが 昔は「かねながしんのう」 最近は「かねよししんのう」 鎌倉幕府が倒れて 南北朝時代の 後醍醐天皇の皇子であるそうな 九州の地を転戦し 55歳で亡くなった 南朝方に擁立され 薩摩の谷山城や 肥後の隈府城を拠点として 足利尊氏と抗争を 繰り広げ敗北する。 墓所の伝承地は多々あるが 宮内庁は 熊本県八代市のものとしている。 明治になって 同市の八代宮に祀られた
■交通  八代駅より産交バス  「東町行き」乗車、  「谷」下車徒歩4分   ■お問い合せ:  0965-34-8201(悟真寺)


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