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神社一覧 南九州


稲荷神社

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妙見神


  • contents:

    鎮座地/御祭神/神事・例祭/由緒/概要/考察/


  • 鎮座地

     
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    • 所在地: 霧島市国分・姫城阿多石 北緯31度45分10秒,東経130度45分58秒
    • 交通: ■林田バス: 国分〜日当山〜霧島線、  阿多石下車歩1分 ■JR肥薩線・日当山駅下車、歩約15分 ■JR日豊本線・国分駅下車、歩約20分


    御祭神

    No 神社名 位置所在 名称
    祭神 摘要 備考
    8 稲荷神社 国分姫城(阿多石) 妙見神 社殿横岩屋 天之御中主神(妙見・権現) 衣冠男神
    旧妙現大明神
    (阿多石)
    国司ヶ嶽
    霊岩之剣先に鎮座
    古記p125
    稲荷別宮 第2鳥居 倉稲魂神(宇賀魂命,保食神,稲荷)
    旧稲荷大明神
    (隈崎)
    宝永8年(1711)棟札p126
    水神(貴船) 第2鳥居 高おかみ神(オカミ:雨+龍) 旧貴船大明神
    (田辺)

    熊野 本殿 伊邪那岐・伊邪那美命
    旧熊野三所大権現
    (外姫城)

    若宮 本殿 高霊龍神 天照大神 旧若宮八幡社(隅) 往古11面像あり:
    天文9年(1540)
    山の神・田の神 本殿 大山祇尊 宇気母持神


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    神事・例祭

    例祭名概要摘要
    11元日祭11
    33祈願祭11
    320春祝祭14
    630大祓式14
    85献灯祭六月灯14
    103例祭11
    123新嘗祭11
    1231大祓式14
    毎月15月次祭11


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    由緒

     
    pin.gif 創建は古く 台明寺の 「日枝神社」 保存の由緒書き 「青葉竹由来」 によると、
    
    境内に自生の
    其の竹を伐取、
    先ず
    国分府中村の
    鏡の池に
    浸し置きて、
    
    清水村姫木村
    妙見社
    に奉納し、
    
    是を京都へ貢せしとぞ。
    
    税所介曽於郡主の時は
    此笛竹を宰領して
    上京すといへり。
    
    
    **** 天文15年(1546) ****
    瀬戸口伝左衛門文書写
    古記p130
    
    ■創建不詳 ■北斗七星:比売乃城、 国司ヶ嶽霊岩 剣先に鎮座 ■平家物語に「青葉の笛」の神社として登場する ■当時は「妙見社」もしくは「妙現社」 ■江戸時代は「妙現大明神社」 ■明治40年:次を合祀、  社名は「天御中主神社」     貴船神社 :姫城竹下   ====>>洪水を鎮める、雨止め、雨乞い    ■明治45年:次を合祀し  現在社名「稲荷神社」に改名 麓にあった次の神社が洪水で流失したので 合祀され現在位置に鎮座された。
    • 妙現大明神:姫城阿多石 ===>>国家鎮護、福寿増進、防災
    • 稲荷神社 :姫城西瓜河原===>>五穀豊饒
    • 愛宕堂 :位置不明だが国司岳の辺りか
    • 若宮八幡 :姫城隅
    ■昭和10年(1935) 第一鳥居、社殿改修 ■昭和63年(1988) 石灯籠、欄干、第2鳥居新設寄贈 社殿改修 ■平成8年(1995) 参道改修、車道コンクリート


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    概要


    第一鳥居

    第一鳥居、バックは熊襲が立て籠もった比売乃城の天狗岩

    第二鳥居

    第二鳥居

    別宮・水神

    稲荷別宮

    結構、階段は急だが参拝されるお年寄りはお元気だ。

    本殿と岩屋

    岩屋の拝殿、手前の石碑は「宇気母智神」


    岩屋と絶壁(妙の字)

    岩屋の御神体(妙見神)、妙現宮の碑文あり。

    桜満開の参道

    桜満開の参道

    神社の崖の刻字「妙」
    この上が国司岳

    神社上にある国司岳からの桜島


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    考察

     
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    鏡橋と比売乃城の右奥は霧島連山
    比売乃城の左側山頂が国司岳
    1. 天狗岩の直下には、熊襲との抗戦時、 朝廷軍が720年に陣を張ったといわれる 「稲荷神社(おみょうけんさあ〜)」がある。
    2. 平安時代、ここの「青葉の笛」は 一世を風靡したようである。
    3. 「鏡池」は、国分諸古紀(資料編p130)によると、 この時既に洪水で手篭川の川底に なってしまったようである。
    4. 現在、敷根〜日当山道路の新町〜府中間の 手篭川に架かる鏡橋辺りのようだ。 そういえば、幼い頃、 祖母にそんな話を聴いたような。。
    5. 現存する「青葉の笛」の一本は、 源義平の所持していた品らしい。
    6. 源義平が所縁の福井県和泉村では、 毎年「青葉の笛フォーラム」が 開催されている。
    7. 和泉村は平成17年末『大野市』に併合された。
    8. また、同じ古文書の中に、「妙見神社」について 「昔、豊後軍勢が勧請 した」とある。 豊後もしくは豊前と関連のあった時代を
      • 720年前後(689〜): 隼人との抗戦、及び平定、豊前との交流
      • 1578年前後: 島津と大友(伊藤)との日向争奪戦、 耳川(みみがわ)の戦い
    9. その後、山伏等の修験道と合祀した時代も あったようで、、
    10. また、「妙見信仰」には、 熊本八代の「妙見宮」の関連もある。
    11. 幼少の頃は、「お稲荷さん」を なぜ「おみょうけんさあ〜」と呼ぶのか 判らなかったが、
    12. この神社は、麓にあった神社が 度重なる天降川の洪水で流失した為、 明治45年に合祀され現在位置に鎮座した。
      • 貴船神社 :姫城竹下
      • 妙現大明神 :姫城阿多石
      • 稲荷神社 :姫城西瓜河原
      • 愛宕堂 :位置不明だが国司岳の辺りか
      • 若宮八幡 :姫城隅


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    青葉の笛と平敦盛

     
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    平家物語・百二十句本
    (国会本)巻九
    熊谷の次郎直実は、 「よからん敵がな、一人」 と思ひて待つところに、 練貫に鶴ぬうたる直垂に、 萌黄匂の鎧着て、連銭葦毛なる馬 に乗つたる武者一騎、 沖なる船に目をかけて、 五段ばかり泳がせて出で来たる。 熊谷これを見て、扇をあげ、 「返せ。返せ」とまねきけり。 とつて返し、 なぎさへうちあぐるところを、 熊谷、願ふところなれば、 駒の頭を直しもあへず、 おし並べて組んで落つ。 左右の膝にて敵が鎧の袖をむずと押さへ、 「首を掻かん」 と兜を取つておしのけ見れば、 いまだ十六七と見えたる人の、 まことにうつくしげなるが、 薄化粧して鉄〓つけたり。 熊谷、 「これは平家の公達にてぞましますらん。 侍にてはよもあらじ。 直実が小次郎を思ふ様にこそ、 この人の父も思ひ給はめ。 いとほしや。助けたてまつらん」 と思ふ心ぞつきにける。 刀をしばしひかへて、 「いかなる人の公達にておはするぞ。 名のらせ給へ。助けまゐらせん」 と申せば、 「なんぢはいかなる者ぞ」 と問ひ給ふ。 「その者にては候はねども、 武蔵の国の住人、 熊谷の次郎直実と申す者にて候」 と申せば、 「なんぢがためには、よい敵ごさんなれ。 なんぢに合うては名のるまじきぞ。 ただ今名のらねばとて、 つひに隠れあるべきものかは。 首実検のあらんとき、 やすく知られんずるぞ。 急ぎ首を取れ」 とぞのたまひける。 「あはれげの者や。 ただ今この人討たねばとて、 源氏勝つべきいくさに負くべからず。 討ちたればとても、それによるまじ」 と思ひければ、 「助けたてまつらばや」 と、 うしろをかへりみるところに、 味方の勢五十騎ばかり出で来たる。 「直実が助けたりとも、 つひにこの人のがれ給はじ。 後の御孝養をこそつかまつらめ」 と申して、御首掻いてんげり。 のちに聞けば、 「修理大夫経盛の末の子に、大夫敦盛」 とて、生年十七歳にぞなられける。 御首つつまんとて、 鎧直垂をといて見れば、 錦の袋に入れたる笛を、 引合せに差されたり。 これは、祖父忠盛笛の上手にて、 鳥羽の院より賜はられたりけるを、 経盛相伝せられたりけるを、 名をば「小枝」とぞ申しける。 熊谷これを見て、 「いとほしや。 今朝、城のうちに管絃し給ひしは、 この君にてましましけるにこそ。 当時、味方に、東国よりのぼりたる兵、 幾千万かあるらめども、 合戦の場に笛持ちたる人、よもあらじ。 何としても、 上臈は優にやさしかりけるものを」 とて、 これを九郎御曹司の見参に 入れたりければ、 見る人、聞く者、 涙をながさぬはなかりけり。 それよりしてぞ、 熊谷が発心の思ひはすすみける。 「狂言綺語のことわり」 といひながら、 つひに讃仏乗の因となるこそあはれなれ。

     
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    平家物語 巻の九 「敦盛最期」
    岩波文庫本
    軍破れければ、 熊谷次郎直実 「平家の君達助け舟に乗らん」 と、 汀の方へぞ落ち給ふらん。 哀れ好らう大将軍に組ばやとて、 磯の方へ歩まする処、 練貫鶴縫うたる直垂に、 萌黄匂の鎧著て、 鍬形打たる甲の緒をしめ、 金作の太刀を帯き、切斑の矢負い、 繁藤の弓持て、 連銭葦毛なる馬に、 黄覆輪の鞍置て乗たる武者一騎、 沖なる船に眼を懸て、 海へさと打入れ、 五六段計泳がせたるを熊谷、 「あれは大将軍とこそ見参せへ。 正なうも敵に後ろを見させ給う者哉。 返させ給へ」 と、扇を揚げて招きければ、 招かれて取って返す。 汀に打上らんとする所に、 押並て、むずと組んでどうと落ち、 取て押へて頚を掻んとて、 甲を押仰けて見れば、 年十六、七ばかりなるが、 薄化粧して鉄漿黒也。 我子の小次郎が齢にて、 容顔誠に美麗なりければ、 何くに刀を立べしとも覚えず。 「仰如何なる人にてましまし候ぞ。 名乗せ給へ。扶け参せん」 と申せば、 「汝は誰そ」と問給ふ。 「物其者だは候はねども、 武蔵国の住人熊谷直実」 と名乗申す。 「さては汝に逢ては名乗まじいぞ。 汝が為には好い敵ぞ。 名乗らずとも頚を取て人にとへ。 見知うずるぞ」 とぞ宣ひける。 「あわれや大将軍や。 此人一人討奉たりとも、 負くべき軍に勝べき様もなし。 又討たてまつらずとも、 勝つべき軍に負る事もよ有じ。 小次郎が薄手負たるをだに 直実は心苦しう思うに、 此殿の父、討たれぬと聞いて、 如何計か歎き給はんずらん。 あはれ扶け奉らばや」 と思ひて、 後をきと見ければ、 土肥、梶原五十騎計で続いたり。 熊谷涙を押て申けるは、 「助け参せんと存へども、 御方の軍兵雲霞の如く候。 よも逃させ給はじ。 人手にかけ参せんより、 同くは、直実が手に懸参らせて、 後の御孝養をこそ仕候はめ」 と申ければ、 「唯とうとう頚を取れ」と宣ひける。 熊谷余にいとほしくて、 何に刀を立つべしとも覚えず、 目もくれ心も消果てて、 前後不覚に思えけれども、 さしても有るべき事ならねば、 泣々頚をぞ掻いてける。 「あはれ弓取る身程 口惜かりける者はなし。 武芸の家に生まれずは、 何とてかかる憂目をば見るべき。 情なうも討奉る者哉」 と掻口説き袖を顔に押当てて、 さめざめとぞ泣居たる。 やや久うあて、さても在るべきならねば、 鎧直垂を取って、 頚を襄まんとしけるに、 錦の袋に入たる笛おぞ腰に差されたる。 「あないとほし、此暁城の内にて、 管弦し給ひつるは、 此人々にておはしけり。 当時御方に東国の勢何万騎か有らめども、 軍の陣へ笛持つ人はよも有じ。 上臈は猶も優しかりけり」 とて、九朗御曹司の見参に入たりければ、 是を見る人涙を流さずという事なし。 後に聞けば、 修理太夫経盛の子息とて、 生年十七にぞ成れける。 其よりしてこそ、 熊谷が発心の思いはすすみけれ。 件の笛は祖父忠盛り、 笛の上手にて、 鳥羽院より給はられたりけるとぞ聞えし。 経盛相伝せられたりしを敦盛器量たるによって、 持たれたりけるとかた。 名おば小枝とぞ申ける。 狂言綺語の理と云いながら、 遂に讃仏乗の因となるこそ哀なれ。
  • 小枝:さえだ
  •  
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    笛等伝承の奨励
    天武天皇十四年(685)九月戊午《十五》◆戊午。 直廣肆都努朝臣牛飼爲東海使者。 直廣肆石川朝臣虫名爲東山使者。 直廣肆佐味朝臣少麻呂爲山陽使者。 直廣肆巨勢朝臣粟持爲山陰使者。 直廣參路眞人迹見爲南海使者。 直廣肆佐伯宿禰廣足爲筑紫使者。 各判官一人。史一人。巡察國司。 郡司及百姓之消息』 ▼是日。詔曰。 凡諸歌男。歌女。笛吹者。即傳己子孫令習歌笛。


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    秘佛敦盛観音
    何と 「徐福渡来」 の伝承のある「冠岳」に 秘佛敦盛観音 が安置されている、 冠嶽山鎮国寺頂峯院 2/7には その秘仏の御開帳がある、 当日は 薩摩琵琶奉納「小敦盛」 朗読「縁〜敦盛と直実」 等の演目が奉納される。 開催時刻:AM10〜
    鎮国寺


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    唱歌:青葉の笛
    明治後半、唱歌で普及した。 題名:青葉の笛 敦盛 と 忠度 作詞:大和田建樹 作曲:田村虎蔵 作曲年:明治39年 ■一番■ 一の谷の 軍(いくさ)破れ 討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ 暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 ■二番■ 更くる夜半(よわ)に 門(かど)を敲(たた)き わが師に託せし 言の葉(ことのは)あわれ 今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に 残れるは「花や 今宵(こよい)」の歌 下記サイトにMIDIメロディーがあります。 おやじの旧い唄:MIDI

     
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    青葉の笛
    この2007年秋 隼人町の歴史研究会の 秋の歴史探訪に出席した。 大隅半島の 太平洋岸の古墳や史跡探訪 いつかは訪れたいと思っていた。 いい機会下見のつもりで参加した。 その探訪先の塚崎古墳群の ある一角に建つ 肝属町歴史民俗資料館 に 何と「青葉の笛」が 展示してあった。 ガイドをお勤めになった先生も 笛を辿って当地の日枝神社や 稲荷神社を参拝されたとのこと。 どのような仔細で 伝承されたか不明だが それにしてもよくぞ残ったものだ。 aobafue.jpg


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    一の谷剣舞
    去年辺りから 父との同行二人旅は 日南方面が多くなった。 今度は どんな祭りがあるかなと パンフレットを見ていたら 何とこの「平敦盛」の剣舞があるそうだ。 以前は伝統芸能の宝庫「西米良」で舞われて いたそうだが、 昭和48年の集落移転により 現在は麓地区で継承されているそうだ。 来年(2008) 父と見物できたらいいな。 一の谷剣舞:須木村 2007年現在:小林市須木 小林市須木庁舎地域振興課 TEL:0984-48-3111 FAX:0984-48-2269 参照サイト: 歌と芸能101

     
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    神楽:青葉の笛
    「青葉の笛」 の演目で 神楽が舞われているのでご紹介 尚、動画もある。必見。 中川戸神楽団 http://5000ban.com/index.htm リンク集の「神楽」に 掲載してあります。 中国山地の山のふところに囲まれた 広島県山県郡・高田郡一帯は 「神楽どころ」である。  戦後は高田舞いと称する 八調子の神楽を導入して 神楽の伝承保存に つとめてまいりました。 演目に業平の「青葉の笛」がある。


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