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神社一覧 南九州


飯富神社

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  • contents:

    鎮座地/御祭神/神事・例祭/由緒/概要/考察/


  • 鎮座地

    ■所在地:  霧島市霧島町大窪1362   ■連絡先:  霧島市霧島町 ■交通:  ○林田バス、国分〜霧島線、豊後迫 下車 歩3分  ○JR日豊本線霧島神宮下車、国分方面に歩いて約20分。   近くには、豊後塚、向田七社神社がある。


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    御祭神

    No 神社名 位置所在 名称 祭神 摘要 備考
    飯富七社神社 霧島町豊後迫
    八十狂津日神 神直日神 大直日神 天伊佐布玉命 天表春命 天背男命 経津主命 天孫降臨随神七神 尾谷七社神社を合祀
    岐志雨保命(キシニホノミコト) 天日神(アメノヒノカミ) 明治43年合祀 市来、保食を合祀
    境内 宮下稲荷 明治43年合祀
    境内 照石 明治43年合祀
    境内 山神碑 土着神


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    神事・例祭

    例祭名概要適要
    88例祭


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    由緒

    国分諸古記、他の資史料をみると、 「七社神社」は本来、 島津が勧請 した神社で 国分、霧島地方に 七箇所の社が存在した とあるので、現状を調査してみた。
  • 高千穂の峰に 降臨された随神七神 を祭る
  • ■創建年代不詳  古記に嶋津氏「天孫降臨の随神七柱」を勧請とある。   ■文暦元年(1234):  鎌倉時代・失火社殿焼失   ■文明16年(1484):  本宮(霧島神宮)より末社を再興   ■永禄8年(1565):  貴久公社殿改修   ■天正4年(1576):  義久公により彼岸より祭礼を行う   ■元和4年(1618):  社殿改修   ■元文3年(1738):  寺社奉行巡行   ■寛保元年(1741):  由緒、棟札作成   ■明治43年(1910):  合祀  ○大窪持川・市来大明神、  ○保食神社  ○尾谷・七社神社  ○宮下稲荷神社を境内へ遷座  ○照石神社を境内へ遷座 ■終戦まで村社 ■霧島神宮末社


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    概要


    第一鳥居

    由緒

    境内社:宮下稲荷神社

    境内社:照石神社

    境内社:山神碑

    境内

    祭神

    県道の参道入口
    JR日豊本線が参道を分断している。

    豊後迫バス停付近

    豊後迫バス停付近から見た向田

    豊後塚説明

    豊後塚


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    考察

    1. 国分諸古記、他の資史料をみると、 「七社神社」は本来、島津が勧請 した神社で 国分、霧島地方に七箇所の社が存在した とあるので、現状を調査してみた。
    2. この豊後迫(旧地名は豊後多)には 数か所点在していると記されている。
    3. ここもその一つの尾谷の七社を合祀している。
    4. この尾谷の七社だが、 古文書には同じ地名に2箇所散見されるが。
    5. かなり合祀されたとみえて祭神は多数おられる。(添付)
    6. この近くには、日豊線の西側に 「向田七社神社」が鎮座する。
    7. 寛保元年に記載された神社由緒によると 義久公が豊後勢との抗戦の戦勝祈願・慰霊を 行い、それ以後祭礼が活発になったとある。 ===>>国分郷土誌資料編p102参照
    8. また、この豊後迫の地名の由来となった 豊後勢の供養塚豊後塚もある。 この神社の南方の公民館山手にある。
    9. 現在の隼人医療センターの裏山には、 「豊後勢」の中世の山城「鶴ヶ城」があった。
    10. 霧島川下流の菅原神社・芦江神社付近から 松永・平隈にかけての田園地帯は、 通称「豊後田」と呼ばれ、 苦戦を強いられた場所とあるが。。 多分、昔は芦原か石のごろごろした河原だったのだろう。
    11. 古文書の中に「昔、豊後軍勢が勧請 した」 とある「妙見神社」も この医療センター付近には数カ所散見された。 (襲山郷寺社名所古城川筋調:24,25)
    12. 豊後もしくは豊前と関連のあった時代を列記すると。
      • 720年前後(689〜): 隼人との抗戦、及び平定、豊前との交流
      • 1578年前後: 島津と大友(伊藤)との日向争奪戦、 耳川(みみがわ)の戦い


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