jisya-log

神社一覧 南九州


日枝神社 霧島市国分


磨崖仏


contents:

鎮座地/御祭神/神事・例祭/由緒/概要/青葉の笛/平家物語/ 考察/


鎮座地

 
pin.gif
■所在地: 鹿児島県霧島市国分・台明寺1103 北緯31度46分13秒,東経130度48分35秒 ■連絡先: 霧島市(0995-45-5111) ■交通 : バス:国分〜郡田、終点下車、 歩20分、台明寺渓谷手前


contents/ HOME

御祭神

No 神社名 位置所在 名称 祭神 摘要 備考
k27 日吉山王社(日枝神社)

大山昨命 大穴牟持神



境内 保食神社 保食神 宇気母智神


contents/ HOME

神事・例祭

例祭名概要摘要
毎月15月例祭
48保食大神祭(馬頭観音)
630大祓
715ご巡幸祭(六月灯)
1115例祭


contents/ HOME

由緒

 
pin.gif 神社に永年保存の明細書によると、 創建は古く、 白鳳元年(670年頃?)とある。 本殿の建物は 七間・二間の建築様式で 平安時代の現存する形態では最古である。 本来は 茅葺きの屋根を戴いていたのだろうが、 現在では瓦葺きとなっている。
保存の由緒書き「青葉竹由来」 (三国名勝図会)によると、 境内に自生の其の竹を伐取、 先ず国分府中村の鏡の池に浸し置きて、 清水村姫木村妙見社に奉納し、 是を京都へ貢せしとぞ。 税所介曽於郡主の時は 此笛竹を宰領して上京すといへり。 **** 天文15年(1546) **** 瀬戸口伝左衛門文書写 古記p130
■創建年代は不詳なれど  白鳳元年(672)の伝承有り   ■建仁3年(1203)  忠久公(1代)御願書写   ■正嘉元年(1257):  鐘楼堂   ■永正13年(1516):  造営書   ■慶長6年(1601):  40石の目録有り、寺社調あり   ■元和2年(1616):  改築   ■寛正年間(1460-1466)  立久公(10代)御再興棟札  立久公:永享4年(1432)-文明6年(1474)   ■明治初年(1870)  日吉山王権現を日枝神社に改名  県社・日枝神社   ■大正6年(1917):  地主神神社を合祀


contents/ HOME

概要


由緒

鳥居(八幡型)
(右上に磨崖仏)

参道(左側に磨崖仏)

参道・拝殿

拝殿

拝殿

本殿

本殿

本殿

本殿

本殿,三手先組物

本殿

青葉竹と境内

保食神・宇気母智神

三手先組物,海老虹梁

五輪塔

磨崖仏(参道中)

磨崖仏(参道入口右)

本殿立面図x

本殿立面図y


contents/ HOME

考察

 
pin.gif
三国名勝図會
  1. 台明寺との関連が深い
  2. 青葉の笛は当時一世を風靡したと見えて あちこちに散見される。
  3. 現存する「青葉の笛」の一本は、 源義平の所持していた品らしい。
  4. 源義平が所縁の福井県和泉村では、 毎年「青葉の笛フォーラム」が 開催されている。
  5. 全国の寺社を参詣したり遊学した者の中には この台明寺の青葉の笛の取得目的で当地を訪れたようで、 「青葉の竹」を懐に忍ばせたとある。
     
    pin.gif 笛竹の 古き昔を 音に聞て  尋ねし山の かひそ有りける     ==== 高山彦九郎 ====
  6. 「東西遊記」を記した 医者の橘南谿は、大隅八幡の参拝し、新川を渡り この台明寺に詣でている。 正月の頃で、新川を渡った山寺で一宿を断られ 闇夜をとぼとぼ台明寺めざし雨の中歩いている様が 痛々しい。 しかし、この青葉の笛を譲り受けて小踊りしている 様子が救われる。


contents/ HOME

青葉の笛と平敦盛

 
pin.gif
平家物語・百二十句本
(国会本)巻九
熊谷の次郎直実は、 「よからん敵がな、一人」 と思ひて待つところに、 練貫に鶴ぬうたる直垂に、 萌黄匂の鎧着て、連銭葦毛なる馬 に乗つたる武者一騎、 沖なる船に目をかけて、 五段ばかり泳がせて出で来たる。 熊谷これを見て、扇をあげ、 「返せ。返せ」とまねきけり。 とつて返し、 なぎさへうちあぐるところを、 熊谷、願ふところなれば、 駒の頭を直しもあへず、 おし並べて組んで落つ。 左右の膝にて敵が鎧の袖をむずと押さへ、 「首を掻かん」 と兜を取つておしのけ見れば、 いまだ十六七と見えたる人の、 まことにうつくしげなるが、 薄化粧して鉄〓つけたり。 熊谷、 「これは平家の公達にてぞましますらん。 侍にてはよもあらじ。直実が小次郎を思ふ様にこそ、 この人の父も思ひ給はめ。 いとほしや。助けたてまつらん」 と思ふ心ぞつきにける。 刀をしばしひかへて、 「いかなる人の公達にておはするぞ。 名のらせ給へ。助けまゐらせん」 と申せば、 「なんぢはいかなる者ぞ」と問ひ給ふ。 「その者にては候はねども、武蔵の国の住人、 熊谷の次郎直実と申す者にて候」 と申せば、 「なんぢがためには、よい敵ごさんなれ。 なんぢに合うては名のるまじきぞ。 ただ今名のらねばとて、つひに隠れあるべきものかは。 首実検のあらんとき、やすく知られんずるぞ。急ぎ首を取れ」 とぞのたまひける。 「あはれげの者や。ただ今この人討たねばとて、 源氏勝つべきいくさに負くべからず。 討ちたればとても、それによるまじ」と思ひければ、 「助けたてまつらばや」 と、うしろをかへりみるところに、 味方の勢五十騎ばかり出で来たる。 「直実が助けたりとも、つひにこの人のがれ給はじ。 後の御孝養をこそつかまつらめ」 と申して、御首掻いてんげり。のちに聞けば、 「修理大夫経盛の末の子に、大夫敦盛」 とて、生年十七歳にぞなられける。 御首つつまんとて、鎧直垂をといて見れば、 錦の袋に入れたる笛を、引合せに差されたり。 これは、祖父忠盛笛の上手にて、 鳥羽の院より賜はられたりけるを、 経盛相伝せられたりけるを、 名をば「小枝」とぞ申しける。 熊谷これを見て、 「いとほしや。今朝、城のうちに管絃し給ひしは、 この君にてましましけるにこそ。当時、味方に、 東国よりのぼりたる兵、幾千万かあるらめども、 合戦の場に笛持ちたる人、よもあらじ。 何としても、上臈は優にやさしかりけるものを」 とて、これを九郎御曹司の見参に入れたりければ、 見る人、聞く者、涙をながさぬはなかりけり。 それよりしてぞ、熊谷が発心の思ひはすすみける。 「狂言綺語のことわり」といひながら、 つひに讃仏乗の因となるこそあはれなれ。

 
pin.gif
平家物語 巻の九 「敦盛最期」
(岩波文庫本より)
軍破れければ、 熊谷次郎直実「平家の君達助け舟に乗らん」と、 汀の方へぞ落ち給ふらん。 哀れ好らう大将軍に組ばやとて、 磯の方へ歩まする処、練貫鶴縫うたる直垂に、 萌黄匂の鎧著て、鍬形打たる甲の緒をしめ、 金作の太刀を帯き、切斑の矢負い、 繁藤の弓持て、 連銭葦毛なる馬に、黄覆輪の鞍置て乗たる武者一騎、 沖なる船に眼を懸て、海へさと打入れ、 五六段計泳がせたるを熊谷、 「あれは大将軍とこそ見参せへ。 正なうも敵に後ろを見させ給う者哉。返させ給へ」 と、扇を揚げて招きければ、招かれて取って返す。 汀に打上らんとする所に、 押並て、むずと組んでどうと落ち、 取て押へて頚を掻んとて、 甲を押仰けて見れば、年十六、七ばかりなるが、 薄化粧して鉄漿黒也。 我子の小次郎が齢にて、 容顔誠に美麗なりければ、何くに刀を立べしとも覚えず。 「仰如何なる人にてましまし候ぞ。 名乗せ給へ。扶け参せん」 と申せば、 「汝は誰そ」と問給ふ。 「物其者だは候はねども、武蔵国の住人熊谷直実」 と名乗申す。 「さては汝に逢ては名乗まじいぞ。 汝が為には好い敵ぞ。 名乗らずとも頚を取て人にとへ。見知うずるぞ」 とぞ宣ひける。 「あわれや大将軍や。此人一人討奉たりとも、 負くべき軍に勝べき様もなし。又討たてまつらずとも、 勝つべき軍に負る事もよ有じ。 小次郎が薄手負たるをだに直実は心苦しう思うに、 此殿の父、討たれぬと聞いて、如何計か歎き給はんずらん。 あはれ扶け奉らばや」 と思ひて、 後をきと見ければ、土肥、梶原五十騎計で続いたり。 熊谷涙を押て申けるは、 「助け参せんと存へども、御方の軍兵雲霞の如く候。 よも逃させ給はじ。人手にかけ参せんより、 同くは、直実が手に懸参らせて、後の御孝養をこそ仕候はめ」 と申ければ、 「唯とうとう頚を取れ」と宣ひける。 熊谷余にいとほしくて、 何に刀を立つべしとも覚えず、目もくれ心も消果てて、 前後不覚に思えけれども、 さしても有るべき事ならねば、泣々頚をぞ掻いてける。 「あはれ弓取る身程口惜かりける者はなし。 武芸の家に生まれずは、 何とてかかる憂目をば見るべき。情なうも討奉る者哉」 と掻口説き袖を顔に押当てて、さめざめとぞ泣居たる。 やや久うあて、さても在るべきならねば、鎧直垂を取って、 頚を襄まんとしけるに、 錦の袋に入たる笛おぞ腰に差されたる。 「あないとほし、此暁城の内にて、管弦し給ひつるは、 此人々にておはしけり。 当時御方に東国の勢何万騎か有らめども、 軍の陣へ笛持つ人はよも有じ。上臈は猶も優しかりけり」 とて、九朗御曹司の見参に入たりければ、 是を見る人涙を流さずという事なし。 後に聞けば、 修理太夫経盛の子息とて、 生年十七にぞ成れける。 其よりしてこそ、 熊谷が発心の思いはすすみけれ。 件の笛は祖父忠盛り、笛の上手にて、 鳥羽院より給はられたりけるとぞ聞えし。 経盛相伝せられたりしを敦盛器量たるによって、 持たれたりけるとかた。 名おば小枝とぞ申ける。 狂言綺語の理と云いながら、 遂に讃仏乗の因となるこそ哀なれ。 平家物語 巻の九 「敦盛最期」(岩波文庫本より)
  • 小枝:さえだ
  •  
    pin.gif
    笛等伝承の奨励
    天武天皇十四年(685)九月戊午《十五》◆戊午。 直廣肆都努朝臣牛飼爲東海使者。 直廣肆石川朝臣虫名爲東山使者。 直廣肆佐味朝臣少麻呂爲山陽使者。 直廣肆巨勢朝臣粟持爲山陰使者。 直廣參路眞人迹見爲南海使者。 直廣肆佐伯宿禰廣足爲筑紫使者。 各判官一人。史一人。巡察國司。 郡司及百姓之消息』 ▼是日。詔曰。 凡諸歌男。歌女。笛吹者。即傳己子孫令習歌笛。


    contents/ HOME

     
    pin.gif
    秘佛敦盛観音
    何と 「徐福渡来」 の伝承のある「冠岳」に 秘佛敦盛観音 が安置されている、 冠嶽山鎮国寺頂峯院 2/7には その秘仏の御開帳がある、 当日は 薩摩琵琶奉納「小敦盛」 朗読「縁〜敦盛と直実」 等の演目が奉納される。 開催時刻:AM10〜
    鎮国寺


    top/ HOME

     
    pin.gif
    唱歌:青葉の笛
    明治後半、唱歌で普及した。 題名:青葉の笛 敦盛 と 忠度 作詞:大和田建樹 作曲:田村虎蔵 作曲年:明治39年 ■一番■ 一の谷の 軍(いくさ)破れ 討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ 暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 ■二番■ 更くる夜半(よわ)に 門(かど)を敲(たた)き わが師に託せし 言の葉(ことのは)あわれ 今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に 残れるは「花や 今宵(こよい)」の歌 下記サイトにMIDIメロディーがあります。 おやじの旧い唄:MIDI

     
    pin.gif
    青葉の笛
    この2007年秋 隼人町の歴史研究会の 秋の歴史探訪に出席した。 大隅半島の 太平洋岸の古墳や史跡探訪 いつかは訪れたいと思っていた。 いい機会下見のつもりで参加した。 その探訪先の塚崎古墳群の ある一角に建つ 肝属町歴史民俗資料館 に 何と「青葉の笛」が 展示してあった。 ガイドをお勤めになった先生も 笛を辿って当地の日枝神社や 稲荷神社を参拝されたとのこと。 どのような仔細で 伝承されたか不明だが それにしてもよくぞ残ったものだ。 aobafue.jpg


    top/ HOME

     
    pin.gif
    一の谷剣舞
    去年辺りから 父との同行二人旅は 日南方面が多くなった。 今度は どんな祭りがあるかなと パンフレットを見ていたら 何とこの「平敦盛」の剣舞があるそうだ。 以前は伝統芸能の宝庫「西米良」で舞われて いたそうだが、 昭和48年の集落移転により 現在は麓地区で継承されているそうだ。 来年(2008) 父と見物できたらいいな。 一の谷剣舞:須木村 2007年現在:小林市須木 小林市須木庁舎地域振興課 TEL:0984-48-3111 FAX:0984-48-2269 参照サイト: 歌と芸能101

     
    pin.gif
    神楽:青葉の笛
    「青葉の笛」 の演目で 神楽が舞われているのでご紹介 尚、動画もある。必見。 中川戸神楽団 http://5000ban.com/index.htm リンク集の「神楽」に 掲載してあります。 中国山地の山のふところに囲まれた 広島県山県郡・高田郡一帯は 「神楽どころ」である。  戦後は高田舞いと称する 八調子の神楽を導入して 神楽の伝承保存に つとめてまいりました。 演目に業平の「青葉の笛」がある。


    top/ Hayato_HOME